藤原正彦「若き数学者のアメリカ」新潮社 - 書評あれこれ~

あらすじ 藤原正彦「若き数学者のアメリカ」新潮社 読書感想文

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解説あらすじ・読書感想文・解説  「若き数学者のアメリカ」は著者が数学の研究員としてミシガン大学に招かれた際の体験記をつづったものです。アメリカという巨大な国に、真正面からぶつかって奮闘していく著者の姿が描かれています。

 徒然草の一説で以下のような文章があります。
 
《正気を失って、防ごうとしても力が出ず、足もよたよたで、小川の中へころげこんで、「助けてよう。ねこまただ。ようよう。」と叫ぶと、あちこちの家から、松明などをともじて、走りよって見れば、この辺で顔見知りの坊さんだ。「これはどうしたこと。」と、川の中から抱き起こしたところが、連歌の賞品を取って、扇だの小箱だの懐に入れていたものも、水の中へ落としてしまった。やっとこさ助かったというふうに、ほうほうの体で家の中へ入ったものだ。(実は)飼っていた犬が、暗いけれど主人を知って飛びついたのだという。》

 主人が「ねこまた」を最初過度に恐れ、最後には飼っていた犬だったというように、著者アメリカという国に圧倒され、寂しさや不安に押し潰されそうになり、もがきつつもアメリカという国を最後に俯瞰、客観視していく姿が描かれています。

《「絶対に謝るもんか、絶対に謝らないぞ」
 とこころの中で叫んでいた。ちょうどその時、スピーカーが、
 「幸運にも(fortunately)、あの石油タンクは爆撃をまぬがれた」
 と言ったので、小声で、
 「unfortunately」
と言いなおしてやった。(中略)
 後で考えてみると、そんな感情は確かに単純かつ幼稚であり、それ以上に危険なものであるが、ある種の日本人は、初めて外国に出ると、とかくこういった傾向に陥りやすいらしい。むやみに日本が素晴らしく、偉大で美しく見え、気違いじみた心情的国粋主義に、一時的にとりつかれてしまうのだ。》

アメリカという異国の大地の中でその寂しさ、不安を紛らわすためにアメリカに対する対抗心を持つことで自身を振るいたたせようとしていたようです。


《夕日の見える日はあまりなかったけれど、そんな日は必ず日本のことを思い郷愁の念にかられた。一月、二月、には、夕陽はほぼ真西に沈む。少ししか開かない窓を思い切り押し開いて顔を半分ほど出して見ると、太陽はアパートの北壁に沿って赤く沈んでいった。ミシガンの日没は、ちょうど、日本の日の出と時間的に一致していた。小窓にもたれかかり、夕陽の沈むのを見ながら、何故に自分はこんな所に幽閉され苦しんでいるのだろうかと思うと、激しい孤独感と望郷の念で胸が張り裂けそうだった。》

 自身を振るいたたせていも尚、不安や、寂しさの感情から逃れることはできませんでした。夕陽の沈んでいくのと平行して著者の気持ちも沈んでいっているような気がしました。 

《たとえ目標や理想を掲げて進もうとしても現代の巨大な社会構造においてはどうにもなるまい。よくてドン・キホーテの二の舞だ。従って人生に大目的などを見出し、そのためにあくせく努力するのは無意味だと考える。彼らは出世物語には飽き飽きしたし、政治、経済、学生運動、地域運動にも飽きてしまった。もう手に触れるもの以外に信用しようとしないので。関心をもっているものと言えば自分およびそこからごく近い所にあるものだけだ。成績、恋人、家族、酒、マリファナ、音楽、スポーツなどだ。いわゆる幸福をそれほど追求しようとも思わない。そんなものは手で触れられないものだから初めから信用していないのだ。》

 自身を振るいたたせたり、また不安や淋しさに押し潰されそうな生活を強いられたアメリカ。しかし、著者はアメリカという物をあまりにも過剰に意識し過ぎて居たのだと思います。実際に冷静に、俯瞰して見たアメリカは著者が思っていたような国ではなかったのだと思います。

 このように、アメリカの強大さに圧倒されつつも、最後にはアメリカと云う国を数学者の目から客観的にみた姿が描かれています。

藤原正彦著「若き数学者のアメリカ」新潮社
吉田兼好著「徒然草」講談社文庫
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