福沢諭吉著「福翁自伝」岩波文庫 読みました。 - 書評あれこれ~

あらすじ 福沢諭吉著「福翁自伝」岩波文庫 読みました。 読書感想文

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解説あらすじ・読書感想文・解説  福沢諭吉の自伝小説「福翁自伝を読みました。」

 福沢諭吉を一言で表せば「色々の意味での恐れを知っている人」という印象を受けました。   
 福沢諭吉というと、末代にまで名が知れ渡った人物なので非常に器の大きく少しの事にも動じないという印象だと思っていましたが、非常に小心な一面を持っています。


《一口に言えば私は借金のことについて大の臆病物で、少しも勇気がない。人に金を借用してその催促に逢うて返すことが出来ないというときの心配であたかも白刃をもって後ろから追っかけられるような心地がするだろうと思います。》 

 「後ろから白刃追っかけられるような心地」というのは大袈裟なような気がしますが、恐れを知っているという印象を明確に表現していると思います。徒然草の中で以下のような文章があります。 

《かねてもの心づもりが皆はずれてゆくかと思うと、ひょっとして、はずれないこともあるから、益々もって物は一概に定めにくい。》  

 「物事というのは常に変動して先の事は当てにならない」と云う事を表した文章ですが、福沢諭吉も物事は常に変動して当てにならないと云う事を知っているからこそ非常に慎重に臆病になったのではないかと思います。

 ところが、福沢諭吉は時には打って変わって大胆な一面を見せる場面も見られます。
 

《これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。」》  

 福沢諭吉が大阪の塾生時代にいかに勉学に打ち込んでいたかが分かる文章ですが、何故これが「恐れを知る」というのとつながるかというと以下の文章を見れば分かります。
 
《移り変わってゆく真の一大事は、水勢のはげしい河がみなぎり流れるようなもの。必ずやり遂げようと思うことは時機をとやかく言ってはならぬ。》
  
 ためらったり、足踏みをすることで時機を逃してしまうことへの恐れも知っているからこそ、今がその時と惜しみなく自分の時間を勉学に費やしていたのではないかと思います。
 
 このように、福沢諭吉は「流動的な物事に当てもなく期待する事」と「時機を逃すこと」の種類の異なる両方の恐れを知っているからこそ歴史に名を残す大きな仕事を成し遂げることが出来たのではないかと思います。

参考文献
「新訂 福翁自伝」福沢諭吉著 富田正文校訂 岩波文庫
「徒然草」吉田兼好著 川瀬一馬校注 講談社文庫
 

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