「世間のウソ」日垣隆 新潮新書 - 書評あれこれ~

あらすじ 「世間のウソ」日垣隆 新潮新書 読書感想文

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解説あらすじ・読書感想文・解説  日垣隆著「世間のウソ」新潮新書を読みました。「世論を誤らせる構造的なウソ」を具体的なニュースの例をとりあげてそれに対する処方箋についてもとりあげています。

第九話 部活のウソより
《学校の授業には、補欠や応援専門や玉拾い専門の生徒は、原則的に存在してはいけないことになっています。ある種の教師が侮蔑的に「お客さん」と呼称する生徒がいないわけではありませんが、「三年近く同じ部員でありながら補欠にもなれずスタンドからしか声援を送れない大量の生徒」が出るのは、やはり運動系部活をおいてほかにないでしょう。》


 著者は部活も授業、教育の一環であるにも関わらず、補欠、玉拾い専門の生徒が出てしまっていることに疑問を呈しています。部活を「教育」として見ると、社会勉強の一環として優劣が付けられる競争の中に身を置く事は必要だという考えもあり意見が分かれる所だと思います。

《私が言いたいのは、部活の指導者に、生徒から「スポーツを楽しむ日常」を奪う権利があるのか、という一言に尽きます。》

 学生がスポーツを楽しむ場は授業以外ですと、「部活」が中心になってしまいます。しかし、常にトップを狙うという名目の元に、純粋にスポーツを楽しみたいという多くの学生が排除されてしまっているという事実があります。著者は常にトップを狙うこと部活があることを認めつつも、純粋にスポーツを楽しみたい欲求の生徒が排除されてしまっていることを問題視しています。

《第二の「学校スポーツを二種に分ける」は、全県(都道府県)また全国大会レベルで上位をめざすチームと、好きなスポーツを楽しむチームに分ける、という施策です。そのあめには、指導者の力量と人数をともにアップさせなければなりませんので、地域や企業から優れた指導者を助っ人として招き、必要意応じて複数の学校の協力関係をつくる必要もあります。》

 「スポーツを純粋に楽しみたい生徒達」が玉拾い専門、応援専門になってしまうのは、「熱心すぎて部活を私物化している体育系教師」の存在が原因だと言っています。そうした事態を防ぐためには外部からの人材登用や地域間での協力関係を作って、閉鎖的な環境を打破する必要があると問いています。

 
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