ロビンソン漂流記 - 書評あれこれ~

あらすじ ロビンソン漂流記 読書感想文

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解説あらすじ・読書感想文・解説 デフォー著 吉田健一=訳 「ロビンソン漂流記」新潮社、読みました。
 
主人公のロビンソン・クルーソーが乗っていた船が難破して流れ着いた無人島で、社会から切り離されながらも困難を乗り切っていく奮闘記です。仕事や家庭、地域でのコミュニケーションが希薄になっている現代に照らし合わせて、「社会から切り離される、社会との交流が希薄」な中で「どのように生きていけばよいか」というのを考えされられる一冊です。

《それまで私の唯一の悩みは、人間の社会から隔離されて、広い海の中の孤島に閉じ込められ、沈黙の生活を続けることを余儀なくされていることだった。私は神によって、人間の一人として人間の中に顔を出す資格がないと判断されたのも同様の気がして、もし一人でも他の人間に会うことができたなら、死から救われたのも同じで、魂を救われるという最大の幸福の次に望ましいことだと思っていた。》

 人間にとって社会から隔離されるというのは、独房で一切コミュニケーションを取れなくするという刑罰もあるくらいですから、なによりも辛いことだと思います。現代では会社・企業がコミュニティーの一画を担っていたわけですが、人を使い捨てる風潮からコミュニティーから除外される人々が出始めています。

《私の状態は、生活の惨めさは前と変らなかったが、精神的には遥かに楽になった。そして聖書を読んだり、神に祈ったりすることで、より高いことに考えが向くようになったので私はそれまで知らなかった内的な慰安を感じ始めた。》
アランは「幸福論」で以下のように語っている。《憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長くみられるようには出来ていないのだ。広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼はやすらぐのである。》
 聖書という心の拠り所があることでより遠くに視野を向けることが出来るようになったことが書かれている。人間の心は縋るものがないとより近視眼的になってしまうことが分かる。

《しかし今では考え方が変った。私は毎日聖書を読み、その意味を私の現在の状態に応用して、慰められた。ある朝、私が悲しくて堪らない時に聖書を開くと「私は決してお前を離れず、またお前を見棄てもしない」という言葉が目に入った。(中略)私はこの時からこういう、人に見放された、孤独な状態にあっても、あるいは他のいかなる状態にあるよりも、幸福になることができると考えるようになった。》

 言葉の力というのはあながち馬鹿に出来たものではありません。彼にとって「聖書」の言葉は直接自分自身に語りかけてもらっているものと感じたのでしょう。彼は他に人がいなくとも聖書の中で、コミュニケーションを成立させて、生きる希望を湧き上がらせたのでしょう。

 コミュニケーションが希薄になっている現代で、いかに気持ちを誰かと伝え合い、心を通わせていくかについて考えさせられた一冊でした。

 





 
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