「道草」解説 - 書評あれこれ~

あらすじ 「道草」解説 読書感想文

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解説あらすじ・読書感想文・解説 「道草」解説

 「道草」では金銭を求めてまとわりつく親戚筋と妻との冷めた関係に悩む、健三の姿が描かれています。
 そして、その姿は過去の漱石自身の姿でもありました。 

《漱石は四歳の時に塩原昌之助のところへ養子にやられたが、養父が女をこしらえて家出したので、また連れ戻された。
 漱石の父は、漱石を復籍するに当って塩原の要求する養育料を支払ったが、その時漱石が塩原の要求によって、
 他人にはなっても今後不実なことはしないという一札を入れた。
 漱石はその後成人し、高等学校の教授として洋行し、帰ると大学の講師となり、
 つづいて『我輩は猫である』によって一躍文会の名士になった。
 塩原は、その頃零落し、貧窮のどん底にあって、かつての養子の成功を見ると、
 漱石が入れた一札を利用することを思いつき、それを種にしきりに金をねだりに来て、ついにそれを売りつけた。》P280

 道草は漱石の自伝的小説と云われていますが、
 まさに漱石自信が「道草」に書かれている内容のことをそのまま経験していたのに驚きました。

《彼は、妻がヒステリーの発作を起した後に来る自然の和解のひとときのほかは、
 いつも妻を軽蔑し、憎悪していなければならない。
 しかもその憎悪はすなおな愛情を拒まれることから起る憎悪であって、まさに愛情の裏返しにほかならない。
 しかし、そのことは到底妻に理解さるべくもない。》P281

 「愛されたい」と思うもそれが伝わらず、健三は妻を軽蔑する、
 すると妻も健三を理屈っぽいわけのわからぬことを言う変人と考え、更に溝は深まる。
 作品中でも最後まで妻と健三の関係の溝は埋まらずじまいでした。

《彼は、当時の自然主義のように醜悪面をそれ自身のためにえぐり出したのではない。
 彼は、醜悪面をえぐり出してそれを自己の面上に叩きつけることによって浄化をはかったのだ。
 醜悪の摘出は、自己改良の手段だったのである。》P283

 あえて、醜悪な体験を小説という形で吐き出すことによって、自己の浄化を図ったようです。
 この小説の内容は時点であると同時に、過去の自分との決別であると思いました。
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