芋粥 - 書評あれこれ~

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解説あらすじ・読書感想文・解説

羅生門・鼻 (新潮文庫)

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芥川龍之介「羅生門・鼻」(芋粥)新潮文庫

 主人公の侍、五位は子供にも「何じゃ、この鼻赤めが」と叱責されるようなうだつの上らない侍である。彼は「芋粥を飽きるほど飲みたい」と云う願望をもっていた。そしてこの願望が現実のものとなる。ある会合で芋粥を出された日に誰に言うともなく「何時になったら、芋粥を飽きるほど飲めるだろうか」と不意に口に出した言葉が、藤原利仁の耳に入り、利仁のはからいで芋粥を飽きるほど食べることが出来るようになった。ところがいざ、大釜一杯の芋粥を眼の前にすると五位は不思議な事に芋粥を飲む気が全く失せてしまう。

《殊に、前よりも、一層強くなったのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云う心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。どうもこう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となって現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待っていたのが、如何にも、無駄な骨折のように、見えてしまう。出来る事なら、何か突然故障が起こって一旦、芋粥が飲めなくなってから、又、その故障がなくなって、今度は、やっとこれにありつけると云うような、そんな手続きに、万事を運ばせたい。-こんな考えが、「こまつぶり」のように、ぐるぐる一つ所を廻っている中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐっすり、熟睡してしまった。》P46

 芋粥を「飽きるほど」飲める事が現実となった後の率直な心境が描かれている。あれほど「飽きるほど」芋粥を飲みたいと思っていたのが、いざ現実になったと途端に「何か突然故障が起こって芋粥が飲めないようになってほしい」と心に願っている。
 彼が「芋粥を飲みたい」と願うのは、自分の満腹と同じくらいか少し足りないか程度であるからうれしいのである。「芋粥を飽きるほど飲む事が幸福」なのではなく、「芋粥を飽きるほど飲みたい」と願っている時間こそが幸福なのである。
 「燃え尽き症候群」という言葉があるが、例えば受験でも志望校に合格するために一心不乱に目的に向って努力している時間が刺激的なのであって、いざ目的を果してしまうと「何をしていいか分らない」という事はよく聞く。
 この作品では、「夢がかなうのを待ち続ける時間こそが何よりも幸福な時間である」というメッセージが含まれていると思いました。
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